ケアマネ日記

認知症の人の事例「先生のお話」 認知症の世界を理解して飛び込んでほしい

認知症は、とても悲惨な病気で、かかってしまったら本人も家族も不幸になるばかり。

昨今そういった風潮がありますが、はたして本当にそうなのでしょうか。

 

長い間介護の仕事をしていると、とても心に残る利用者さんとの出会いがいくつもあります。

人生の先輩に教えられることが多い介護の仕事。

 

私が出会った素敵な利用者さんの話も、少しづつしていきたいと思います。

 

年を取るのも悪くない。

認知症も悪くない。

そう感じていただければ幸いです。

 

重度の認知症の利用者さん

「先生」と出会ったのは、デイサービスで働いていた時でした。

「自己紹介③ 私がしてきた介護職あれこれ&介護の仕事の探し方」

 

私の担当は、認知症の利用者さんたちのグループ。

先生もかなり重度の認知症でした。

 

身の回りのことは自分でできるのですが、とにかく会話が成り立たない。

今ここにいる場所もわからない。

そう、先生は、毎日自分が若い時に働いていた「幼稚園」に、仕事に来ていると思っていたのです。

 

定年まで幼稚園の教諭として働いた先生は、お仕事のつもりでデイサービスに来られます。

私たちスタッフのことは「先生」仲間。

 

指導する立場だった先生、若い私たちにいつでも優しく物を教えてくれました。

 

トイレも、行きましょうと誘っても渋られますが、

「先生、付いてきていただいていいですか?」と声掛けすれば行ってくれます。

レクも「先生、やり方を教えてもらえませんか?」というと、張り切ってされます。

 

少し違う世界には住まれていましたが、こちらが配慮すれば問題なく生活できる方でした。

認知症対応型のデイサービスではなく、わりと人数の多いデイサービスだったので、先生を含め認知症の方は、そうではない利用者さんからきつく当たられることもしばしばでした。

 

高齢者の集まる場所では、認知症の方を差別する高齢者も少なくありません。

 

とはいえ、その方たちを責めるのもお門違い。

双方が快く過ごすことができるよう、職員は場所を離したりかかわりを減らしたり、できる限りの工夫をするべきだと思います。

 

先生と私たちは「同僚」という立場で時間を過ごしていました。

実際の状況や、それこそ自分のお子様のこともよくわからなくなっていた先生。

でも、本当にいつまでも「先生」だったんです。




子どもは日本の宝です

先生の口癖がこれでした。

「子供は日本の宝です」

幼稚園の先生を40年されてきた先生は、いつでもきっぱりとこのセリフを口にしました。

 

認知症があった先生は、時々精神的に不安定になり、家に帰りたくなってしまったり、怒ってしまったり、涙が出てしまうことがありました。

 

そこで登場するのが、当時まだ小さかった子供を育てていた職員A,つまりは私です。

ふう
ふう
当時上の子が二歳くらいだったかな

まあ子育てには常時悩んでましたから、先生を相手に本気と書いてマジな子育て相談をするわけです。

 

同僚の先生として、先ほどまで一緒に計算問題何ぞしていたはずの女が、突然ガチの子育てのお悩みをしだしても、場数を踏んだ先生は怯みません。

ふう
ふう
このへんさすがっす

 

今書いてて思い出したんですが、先生にいつも「うちの息子が」って相談してたんですけど

保護者相手ではなくて「指導する子供に苦労している後輩の教諭」って立場で答えてくれてましたね。

ふう
ふう
ホント面倒見のいい先生だったんでしょうね。

 

「先生。子供が野菜を食べないんです」

「先生それはね、給食の時間が楽しくないのかもしれないですね。

お野菜もおいしいよって言って、少しでも食べられたらとっても誉めてあげてください」

 

「先生、うちの子全然じっとしてなくてほんとに困るんです」

「大丈夫よ、子供は元気が何よりです

 

「おむつが取れなくて」

「いつかは取れるから焦らないでね。絶対に失敗しても怒ってはいけませんよ

 

それにしてもよう悩んでたもんやと思いますが

ふう
ふう
今現在の悩みに比べたらなんてかわいいのかしら

何を聞いても先生はにこにこして答えてくれて、最後に絶対こう言うんです。

 

「子供はね、日本の宝なんですよ。

大事な大事な宝物なんですよ」

 

 

やだ今思い出しても泣ける!

(´;ω;`)ウゥゥ

 

ふう
ふう
ホントいいセリフだなあ。

仕事させてもらいながら、お世話させてもらいながら、こっちが救われたこと何回もあります。

これが本当に介護の仕事のいいところだと声を大にして言いたい。




「認知症の人」の一言で終わらないで

たまにそのデイサービスに子供を連れて行ってたんですけど、もう本当に先生の神対応ったらなくてですね。

 

まずは顔を見て第一声

「先生!この子は賢くなりますよ!」

 

ちょっと動き回ろうもんなら

「運動神経がいいですね!」

 

お絵描きなんてした日にゃ

「芸術家になるかもしれないですね」って

もうほんと気持ちいいくらい褒めてくれました。

 

ふう
ふう

ちなみに今賢くもないし運動神経も悪いし絵心もないけど

ええ子に育ってます(フォロー雑)

 

先生に限らず、子供を連れていくと高齢者の皆さんは本当に喜んでくれます。

見たことないような笑顔を見せてくれることも。

子供のパワーってすごいなっていつも思いました。

 

話それましたけど、そんな感じで先生はいつでも先生で

見方を変えればね、「作話ばかりしていて、現状の理解ができない認知症」なんですよ。

 

だってここはデイサービスであって先生が働いていた幼稚園ではないし

私はデイの職員であって先生の同僚ではないし

先生は要介護状態でいつも誰かの支援がいる状態。

 

でもどうですか?

先生の過去、人となりを深く知れば、そんな一言では片づけられなくないですか?

 

その人を理解するということ。

その世界を理解するということ。

認知症の方との関りは、これがとても大切なんです。

 

一言で片づければ認知症患者である「先生」に、新米母だった私はずいぶん救われました。

 

それは、先生をたんなる認知症の人として見なかったから。

人生の先輩として尊敬したから。

 

認知症の人が地域で暮らしていくには、周囲の理解は必ず必要です。

「あの人認知症だな」のあとに、少しその人を理解してもらえたら、もっとお互いに暮らしやすい社会になるのではないか。

そういった、すべての人に優しい社会になることを切に願います。