ケアマネ日記

在宅で看取り ターミナルケアと介護サービス 家で最期を迎える覚悟②

在宅介護の場合、ものすごい速度で要介護状態が悪化し、介護サービスが追い付かないことがあります。

今回のターミナルケアのお話もそういった事例。

あとは、家族の覚悟の問題も少し考えて頂ければと思います。

 

①でお話したケースは、想定していたよりターミナルケアが長引いた場合。

割とよくある話なのですが、ケアマネとしてはこのパターンはやりやすいです。

いや、やりやすくもなかったけど

ふう
ふう
どっちやねん

次のケースに比べたら全然楽でした。

 

今回お話するのは、すごいスピードで状態が変わっていったターミナルケアのケース。

めっちゃくちゃ大変でした!!

 

もう空けても暮れてもこの家通ってましたね、ええ。

ひっきりなしに通ってましたね、ええ。

 

でもその代わり、私はこの方に対して全く思い残すことはありません。

やり切りました。

 

ターミナルであることやその速度から目をそらし続けた家族さんは、亡くなってから後悔の念を口にして涙していました。

 

その涙を見て私に沸いた感情はここには書けません。

ふう
ふう
書いたらあかんのや

 

そんなお話です。

 

末期ガンのターミナルケア

これは多いですね。

二号保険者のケースも多いです。

 

私はこの仕事をするまで、なんとなく

高齢者はガンで死なない

そんなイメージ持ってたんですよ。

 

若いと進行が早いっていうじゃないですか。

じゃあ高齢者ならガンは進行しないんじゃね?的な。

 

実際こういう方も確かにいます

ガンなんだけど何か?な方。

 

でも高齢であっても、進行性のガンであっという間に悪化する方もいます。

ここでお話するBさんはそのタイプでした。




要支援1で寝たきりになる

そもそもの始まりとして、Bさんは相当インザワールドしている認知症のご主人と二人暮らしでした。

 

Bさんの病状悪化と環境の変化にともない、インザワールドダンディの身の振り方を考えるのもそりゃーそりゃー大変だったのですが

そしてそりゃーそりゃー苦労したのですが

ふう
ふう
私のケアマネライフの困難事例ベストスリーに入る

今はその話をする時ではないのでぐっと我慢します。

ふう
ふう
長なる

 

Bさんは陰部にできたガンだったのですが、これがはじめ何かわからなくて。

なんかできた、なんか痛いと。

 

あちこちの皮膚科や婦人科に行ってもわからず、カビかなカンジタかな、で薬は出るけど全然効かない。

患部は見るからにただれて痛そうなのに薬が効かない。

 

一か月ほどで激痛から全く動けなくなってしまったBさん。

実はこの時要支援1だったんです。

要支援のサービス量なんかじゃ足りるわけもありません。

しかも同居人はご主人のみ。しかもインザワールド。

 

ご主人は要介護3だったのでその分で何とか生活援助を持ち出し、区分変更申請はしたものの、結果が出るまで一か月はかかります。

暫定ケアプランを開始したんですが、せいぜい要介護1程度のプランでしか動けない。

 

少し離れたところに息子さんが3人お住まいだったのですが、わりと控えめな家族さんで

ふう
ふう
これオブラートに包んで悪口です♡

 

病院も連れて行ってくれないし、お任せしますの一点張りだし、訪問もよくて週一回だし、とはいえサービスそんなに入れられないしって

そうなったらどうなるかわかります?

ケアマネ走るざます!!
( ー`дー´)キリッ

 

大変やったわ(白目)

毎日通っておむつ変えたわ(白目)

通院介助ももちろん私(白目)

なのにダンディ覚えてくれない(「お前誰じゃ!」毎日来とるがな)

 

要介護3の結果が出て、訪問介護をパンパンに入れられたときはやれやれでした。

が。

それでは終わらない。




手術をしてもすぐに再発するガン

数か月後ようやくガンであることが判明します。

これは本当にかわいそうでしたね。

だって、ガンの痛みって壮絶じゃないですか。

 

実際Bさんはこの後、痛み止めの麻薬を服用するようになるんですが、この病名のわからなかった数か月、処方されてたのはカロナールだけ。

ふう
ふう
効くわけあれへん

 

病名がはっきりして手術をして痛みが消えて、Bさんは本当にほっとしていました。

術後退院してしばらくは、デイに通ったり少しづつ炊事をしたり、日常生活を取り戻しつつあったのですが、ガンはすぐ再発。

すぐにもう一回取ったのかな。

でもほんとすぐにまた再再発した。

 

80歳を過ぎていたBさんは

「もう手術はしたくない」

そう宣言したのです。

 

ここからBさんのターミナルケアが始まります。




在宅診療 緩和ケアの往診

私もまだこの時はのんきなもので、Bさんが治療はしないと宣言したとて、まだまだ猶予はあると思っていました。

 

しかしながら、ガンの治療をしていた病院のMSWから、緩和ケアの外来受診を勧められます。

 

ちなみにですが、この時この病院ももうBさんの家族さんの介護力を見破っていたので、窓口は私になっていました。

特に珍しいことでもありません。

 

ただ、この家族さんは何もしない代わりに←

私が決めることに対して何の不満を言うこともなかったし、判断を任せてくれたので、そこは本当にやりやすかったです。

これが手は出さないけど口は出すざますタイプだったら、ホントにもうもうでした。

ふう
ふう
そしてこのタイプは少なくはない

 

末期ガンだけが緩和ケアを受診するわけではないにせよ、え、もうそんなん受診しないといけないの的な息子二号を捕まえ、緩和ケア外来を受診します。

そこで、改めて本人を前に意思確認が行われました。

ふう
ふう
ちなみに見た目は熊みたいでしたが中身は仏のように優しい先生でした(いらん情報)

 

確認されたこと。

緩和ケアに移行するということは積極的治療はしないが本当にいいか。

最期は自宅で迎えたいか入院するか。

 

この時Bさんは、入院は嫌ですとはっきり言いました。

本人の意思を尊重しますと息子は言いました。

じゃあ在宅のケアを手厚くします。

私は言いました。

 

かくして往診で緩和ケアの医師が、ガン末期ということで訪問看護が医療に切り替わり頻回に訪問する運びになったのです。

 




ターミナルケア 結局は家族の覚悟の問題

結論から言いますと、この受診から二カ月もしないままBさんは亡くなります。

病院で。

 

緩和外来を受診してからしばらくは小康状態だったのですが、一か月ほどして急に腫瘍が大きくなり、身動きができなくなりました。

要介護3だったので、一日複数回の身体介護を入れるには全然単位が足りません。

 

区分変更も検討しましたが、調査が終わるまで存命かどうかもわからない状態で二の足を踏みました。

無事に調査が終わらないかもしれないなら、暫定ケアプランも動かせません。

そして協力するはずの家族も来ません。←

 

在宅最後の数日は、毎朝出勤前によっておむつ変えたり水分補給したりしてました。

それはいいんですよ別に。

私介護好きなんで。それはいい。

でも毎朝ドア開ける前に祈ってました。

ふう
ふう
生きてますように

 

これマジやからね

第一発見者なったら時間取られるから、朝イチ他のアポ入れてなかったもん。

ふう
ふう
備え杉やろ

 

そして医師の往診日。

そりゃ本人は入院は嫌とは言ったけど、在宅の環境のあまりの手薄さに、医師看護師で入院を勧めます。

Bさんは断固拒否。

 

こうなると私らもどうしようもありません。

多分週末だったのかな、私も土日は仕事休みだから来れないし、単位の加減でヘルパーも一日二回しか来れないよと。

でも本人入院嫌って言うてますからあとはよろしくって息子三号やったかな?連絡したら

 

「そんなん困ります!!

入院するように言い聞かせます!!」

 

 

え!?

( ゚Д゚)医師

( ゚Д゚)看護師

( ゚Д゚)アテクシ

 

 

家で最期まで看るんちゃうかったんかい!!

 

ということで、その後息子さんが来て、説得というか半ば無理やりBさんは病院に搬送され、すぐに意識を消失し、一週間以内に亡くなりました。

 

その日、息子さんが来るまで側にいた私に

「なあ、家また帰ってこれるやんな?」

Bさんは何度も尋ねてきました。

 

「大丈夫、帰ってこれるよ、待ってるよ」

私は何度も同じことを答えました。

 

この仕事をしているとウソをつくのがうまくなります。

ましてや私はむちゃくちゃ口がうまい。

本当のことはばれてなかったと信じています。

 

Bさんの場合は、在宅ターミナルの準備はほぼ完ぺきでした。

家族さんの覚悟が足りなかっただけ。

 

入院して意識をなくしているBさんを見舞ったときも亡くなった後の荷物整理の時も、家族さんはおいおい泣いてましたけど、私はちょっと違う感情でしたね。

ま。

書かないけどね←

 

 

以上が、あっという間にターミナルになってしまったBさんのお話です。

在宅の場合、こっちのケースの方が大変ですが、良くある話だと思います。

いつ状態が悪化するかわからない

本当にその覚悟がある人だけ、在宅での看取りが行えるのかもしれません。