ケアマネ日記

76回目の終戦記念日に 高齢者から聞いたいろんな戦争の話を思い出した件

今回は、介護のお話とは少し(少し?)(どころではない)離れますけども、タイトルの通り。

高齢者から聞いた太平洋戦争のお話を、令和3年8月15日の終戦記念日に思い出してみました。だけの話。

私は今43歳で介護の仕事を22歳からしてるんですが、そのころはまだ明治生まれの方もちらほらいたし、利用者の大半が大正生まれでした。

今が昭和96年になるので、当時で昭和生まれとなると70代。
特に当時は施設勤務だったので、その年代はほとんどおられませんでした。

高齢者介護の仕事のいいところは、高齢者が語る昔の話を聞けること。

ですが。

当時超絶忙しい施設勤務のピチピチギャルだった私は、利用者さんが戦争の話なんかをしようとすると

いや今ちょっと忙しいから、あとで聞くわーー

言うてましてな!!!
まともに聞いてへんかったな!!!

まあでも、忙しいからあとで聞くわくらいで待ってくれるような先輩方ではないので(おい)、わりとたくさん戦時中の話は聞きました。

そして時は流れ(20年も!!)、私も歳を取り、戦争の話をしっかり聞いとかないといけないなと思い始めた昨今。

最近は利用者さんはほとんど昭和生まれで、戦中戦後生まれの方が増えてきたので、戦争の話はとんと聞かなくなってしまいました。

だから昔聞いた話を書く。思い出しながら書く。

というだけの記事です。

男性利用者が語る戦争のお話

戦争の話は男女問わず皆さんされてたんですけど、その思い出話には温度差がありました。

私が話を聞いたのは、施設やデイサービスを利用されていた高齢者なんですけど、だいたい食事の席は同性で固めることが多いんです。

そうすると、その場で戦争の話に花が咲くんですけど、男性陣が集まっての戦争の話って

わしはなんやらかんやら(覚えてません)の船に乗ってたんや!!

オレはなんやらかんやら(覚えてません)に行って、なんやら(銃の名前やと思うけど覚えてません)で何人もやったったんですわ!!!

何年もなんやらかんやら(覚えて以下略)にいた生き残りですわ!!

的な。

おおむね自慢話が多いかった。つまり武勇伝。

なんやらかんやらを全く覚えていないあたりで、私がこの辺の男性軍団の話に、相当興味がなかったことがわかると思います。
(伝われ)

戦争はよくないものだと思っていたピチピチギャル職員は

そんなん自慢することじゃないでしょうに

とか思ったりもしてたんだけど、自慢することなんですよね今思うと。
だって必死に戦って、命懸けで生きて帰ってきたんだもん。

と、ゴールデンカムイを読んでようやくその男性陣の気持ちがわかりました(つい最近です)(つまり遅い)。

今ならもっと親身に(良い気分になってもらいつつ!)話を聞くことができるのに、戦争経験者の男性利用者さんがもういなくて残念です。

日本のために命かけて戦ってくれたのにね。

あと当時は、戦争で手足がなくなったり、銃弾等の傷が残っている方もわりとおられましたね。

「痛かった?」て聞いたら「痛かった」言うてましたそらな。

謎の刺青があって、それは戦争で亡くなった時の身元判明のためだったり。
当時は興味なかったけど(おい)、ほんともっとちゃんと聞いとくべきだった。

でもそんな中でわりと鮮明に覚えているのが、一人の男性利用者さん。

自分は体が弱くて兵隊に取られなかったのに、こんなに長生きしてしまった

何度も何度も口にされてた方がいて

そうなんですね!
でも戦争いかなくて長生きできて良かったじゃないですか!

言うてたなあ今となれば黙れ小娘案件。
長く生きてきた方の心の機微に触れるには、まだまだ修行が足りませんでした。

(だから介護職はある程度人生経験積んだ方にこそ!!おすすめしたい所存!!)

長い人生で、戦争に行かなかったことで、いろいろ嫌なこと言われてきたのかもしれないですね。
今ごろ気づく(おおむねおそい)。

女性利用者の語る戦争体験

男性の語る戦争体験はあまり身を入れて聞いてなかったですけど(コラ)、女性の語る体験は身につまされる話が多かったです。

特にお母さんの立場で子どもを背負って空襲から逃げたとか、親せきを頼って疎開したとか、子どもだけ違う場所に疎開してたとか。

自分の祖母からも戦争の話は聞いてたんですけど、子どものころだからピンとこなかった部分が、大人になって利用者さんから聞いてつながってみたり。

姉はどこそこに疎開してたけど、私はこっちに疎開していて、小さい弟たちと母親は大阪に残ってたとか、むちゃくちゃ普通に話されるんですけど

うわあ
お母さんたまらんなあ

て、母の立場ならなりますよね。
今みたいに通信機器が発達して、zoomで顔見られるでもないし。(そらな)

着物売って食べもの買ったとか、そら子ども食べさせるためには何でもするわなとか思いながら聞くので、女性の話は聞いてても心に残ってます。
(男性も残したげて)

戦争で子ども亡くした方もおられたので、この頃に限った話ではないですけど、高齢者の家族関係を聞くときは気を使います。

「今」いる子どもの数が「生んだ」子どもの数とは限らない。

仕事がら、子どもの人数は把握しないといけないので必ず聞きますけど、息子が二人でも上の子が長男かどうかはわからないですし。

それは高齢者に限ったことではないですけどね。

で、私は大阪に住んでるんですけど、意外と戦争の時にどこに住んでたかで記憶がちがうんですよね。女性の場合。

男性は戦地に赴くことが多かったのでそうでもないと思うんですけど、残された場所で生活を守っていた方は温度差がある。

大阪は空襲も大きかったし、疎開しているか、疎開できていなかったら本当に火の海走って逃げたり、目の前で大勢が亡くなったりした話が多い。

でも地方の人とかだと

食べるものもそう困らなかったし、たまにサイレンが鳴ったら竹藪入ったりしたけど
別にそんな

的な。

疎開に来ていた都会の民の悪口言うた人もいる。←

で、この辺の高齢者から聞いた戦争の話を思い出し、つくづく思ったのがお次。

戦時中とコロナ禍は似ている

これは私も思うし、利用者さんたちも言うてる。

戦争中って、なんでみんなあんなに国の言うこと聞いたんやろうって子どもの時から不思議だったんですよ。

そりゃ国の権力が今と比較にならないし、天皇が神様やった時代ですけども。

でも今何となく国の言うこと聞いてますもんね。
腑に落ちないことはたくさんあるけど、緊急事態宣言だってなると外出しなくなったり(したのは一回目だけやけど)、休校で子ども休ませたり。

マスクしてなかったり帰省や旅行すると、非国民扱いで他の国民に叩かれたり。

緊急事態宣言の出てる都会の地域と地方で温度差があったり。

うちの県には来るなと言うたり言われたり。

きっと数十年して、今のコロナ禍の話をその時代の若い者にしても

そうなんですね!!

で当時の私のようにさらりと流されるんだろう。

教科書にも載りますよねきっと。

2020年から謎の疫病大流行的な。
でも終戦みたいにはっきりとした終わりはないしなあ。
テスト問題にしにくいかもなあ。

多分教科書にはGOTOキャンペーンもオリンピックも載るだろうから、後世の若いもんに

なんでこんなことしたんやろ

とか言われるんかなあ。

ワクチン打って腕光るとかのデマが流れたとかは、後世に残さないでほしい。
何の話や。

話を戻すと、今はずいぶん緩んできたけど(←)、ほんとに自粛を徹底していた初期のころは

戦時中に比べたら食べるもんあるし爆弾も降ってこないし
すぐ死ぬわけじゃないし

て、よく利用者さん言ってました。

だからこそ、戦時中を乗り越えて、その先の復興に良い思いでしかない先輩たちは

もうワクチン二回打ったし!

で強気に行動に出るのかもしれない。←

以上、介護の話からはずいぶんそれましたけど、高齢者から聞いた戦争のお話を私なりにまとめてみました。

戦争に関しては思い出したくないから話さないという方もおられますので(過去に何人かいた)、お相手の気分が乗ればの話ですけども。

もし戦争体験のある方が身近におられたら、お話を聞いてみてはいかがでしょうか。

というだけの話でした!

はよコロナも過去の話になりますように!!