ケアマネ日記

津久井やまゆり園 障がい者施設の事件に思う 生きてる資格ってなんなんだ

今回はかなり私の主観の混じった記事になるかと思いますし、明るい話題に触れるわけではないので、そのあたりをご了承の上、読み進めて頂ければと思います。

 

相模原市の障がい者施設、「津久井やまゆり園」で、入居者19人を殺害、26人を負傷させた事件の初公判がありました。

事件があったのは2016年の7月、このニュースを見たときの衝撃は今でも覚えています。

その事件の背景や犯人の言い分等明るみになり、そしてそれに伴う様々な世論は、介護に携わる私にとってたくさん考えさせられるものでした。

 

事件当日の職員の気持ちを考えるとやりきれない

この事件、夜中にあったんですよね。

そしてあさイチのニュースで知ったんですけど、その時まず思ったのは

「夜勤してた職員がかわいそうすぎる」

でした。

 

もちろん被害にあわれた方が一番気の毒ですが、とにかく施設夜勤を経験したことのある介護職としては、それがまず第一に浮かんだんです。

どれだけ怖くて悔しくて後悔されているかと思うと、もうたまらないですね。

 

この規模の施設の夜勤体制がどうなっていたかはわからないですが、おそらく世間の人が想像する以上に、夜勤帯の介護施設は手薄です。

はっきり言ってこんな事件いつ起きてもおかしくない。

本当に小規模な施設であれば一人夜勤のところもありますから。

だから、こんな頭おかしいやつが明確な殺意を持って乗り込んできたら、職員にはもうどうしようもないんですよ。

防ぎきれるわけがない。

本当に本当に気の毒で仕方がないです。

 

そしてもちろん、これ以上ないくらい理不尽な理由で命を落とした、ケガをさせられた方々はもっと気の毒すぎる。

気の毒という言い方が軽くて申し訳ないけど、それしか出てこない。

さらにその後、この犯人が証言した殺害理由を聞いた時、ものすごくいろいろな思いが駆け巡りました。

 

「意思疎通のできない人間は生きている資格がない」

こんな感じのこと言ったんですよね、詳細は違うかもしれないけど、意味としては

「障害があって意思疎通ができない人間は生きていても仕方がないので殺害した自分は間違ってない」と。

マジで書いてて吐き気しますけどね。

 

このセリフ聞いた時、もう何とも言えない気持ちになった介護職員、障がい者関係者、お身内の方や当事者の方たくさんいると思います。

私もその一人。

 

なんというか、とうとうこんなん言うやつ現れたというか。

こんなこと言う人がいるなんて!というのとも違う。

うまく表現できないんですけど、多分この犯人は本当に正しいことをしたと思ってるんだろうなっていうのがね。

何とも言えない気持ちになった。

そしてこんなやつがこんな事件起こしたかと。

 

意思疎通ができない人というのは、障がいのある方にもいらっしゃいますし、高齢者にもいる。

喜怒哀楽を表現されることもなく、身の回りのことは全て介助。

そんな人たくさんいます。

何人も何十人も出会ってきました。

 

今回何か話しかけて、返事のない人は「意思疎通ができない」と判断して犯行に及んだんでしたっけ。

そんな返事できない人なんかたくさんいます。

特に施設や一部の病院には。

それは現実です。

その現場を知らない人が初めて見たら、ちょっと衝撃を受けてしまうほどの世界かもしれません。

 

なにも話せない、食べられない、意思疎通ができないもしくはうまく表現ができず、うまく言葉が出ず、他人から見ればおかしな感情表現だったりおかしな言動をしてしまったり。

時には暴力を振るってしまったり。

 

そんな人は生きている資格があるんでしょうかそれともないんでしょうか。

私だって何百回も考えたことありますよ。

 

その答えは最後に書くとして、ただ、こんなデリケートでみんなが真剣に考えるべき問題に対して

「俺いいことしてやったぜドヤ」

なってる事実に関しては、純粋に怒りしかないですね。

まあひとことでいうてクソですわ。




相模原事件に対する世論に言いたい

私この事件起きた時ね、ものすごく嫌だなと思ったんですよ。

多分、同じようなこというやつ出てくるんだろうと。

意志表現のできない障がい者の存在意義を問うて、よくやったとまではいかなくても、否定しない声が上がるんだろうと。

まあ上がりましたよね案の上。

でも思ったほどじゃなかった。

 

当時ヤフコメめっちゃ見てたんですけど←

たまに犯人肯定派が書き込むとけっこうフルボッコにはなってた(ザマア)。

でもやっぱりちらほらいましたよね、障がい者にかかる税金うんぬん語るやつ。

ちらほらでもなかったか。

わりといたか。

 

確かに重度障がい者であれば、一定の額の手当てや年金が支給されます。

助成もあるし、医療費に関しても負担が少なかったりするし、税金等の免除もあるし。

でも健康な体でまっとうに働く以上のお金なんかもらえないですよ。

 

寝てるだけでお金もらえてラッキーやないうやつは、そこらの崖から死なん程度に飛び降りて、四肢麻痺にでもなって障がい者認定受けりゃいいんじゃないですかね。

もしくはがちがちに凍った豆腐の角で頭打つとかね。

誰が喜んで障がい者や要介護者になるねん。

勤労納税できる喜びをかみしめてほしいですわ。

 

障がい者の生きている意味は何だろう

さてここですよね。

私は介護歴が長いので、出会った要介護者障がい者の数も多いです。

下は4歳から上は104歳まで、いわゆる意思疎通できない方の介護をしたことがあります。

 

この人たちは、何か楽しいことがあるんだろうか。

考えたことが一度もないと言えばうそになります。

これは正直な気持ち。

何がおもろいねん、というよりも、何か楽しいことがあってほしいという祈りにも似た気持ち。

でないと救われない、そういう気持ち。

 

もちろん何の反応もないからと言って、何も感じていない聞こえていないとは限らないので、全力で声掛けします。

それが普通じゃないかな。

何か感じてほしいと願うのが普通じゃないかなと思う。

 

一ミリも表情が動かなくても、発汗が多ければ

「ちょっとテンション上がってんのかな?」

と思うし、すっきりと入浴できれば

「あら気持ちよさそうな顔してますねえ!」

てなるし。

関わっていくうちにそうなるもんなんですけどね。

雰囲気で感情が伝わるようになります。これ綺麗ごとじゃない。

でもならんかったんやねあの元職員は。

 

そして本題に戻りますけど、この仕事してると以前とは状態が変わってしまう方はもちろんたくさんいてですね。

「なんでこんな体になったんや」

「何を楽しみに生きていけばいいんや」

「生きてる意味なんかないわ」

言われることたくさんあります。

まああります。日常的にあります。

 

その人に合わせて、励ましたり慰めたり笑わせたり←

何らかのリアクションはするんですけども、以前利用者さんが叫んだ一言がもう強烈に印象に残ってるんですよ。




生きていくのに資格なんかいらない

当時働いていた施設の食堂で、いつものようにとあるマダムが

「こんな体になってしまって、私生きてる資格ないわ」

嘆いていました。

ちなみにこのマダムはこのセリフが口癖で、わたくしどもサイドの対応としては

「今あの世満員やからまだお迎え来ないわ~」

という、ちょっとユーモア交えバージョン(いらん情報)。

 

その時に、お向かいに座ってこのセリフを毎日聞かされていた別のマダムがこう叫んだのです。

「生きていくのにな!!

意味なんかいらんのや!!

死ぬまでは生きていかなあかんのや!!

なんも考えんと生きていったらええだけや!!」

 

拍手喝采。

 

ほんとそれほんそれ。

 

この時のマダムは多分毎日同じこと言われてぶちぎれただけだったんですけど(後日聞いたら覚えてなかった)

すっごいいいセリフだと思います。

生きてるうちは生きてたらいいんですよ。

意味なんかいらんのです。

ええこと言うたし覚えといてマジで!!

 

まとめとお願い

ようするに、結論をようやく述べると、生きてる資格なんかなくていいんですよ。

ていうかそんなもん他人が決めることじゃない。

少なくともアカの他人が決めることじゃない。

死んでないってことは生きてなきゃいけないんです。

それが誰かのお世話になる必要があるならなればいいじゃないですか。

ぶっちゃけ世の中全員超元気だったら、私らの商売あがったりですわ。

 

この事件の初公判はほんと反吐が出るほどみっともなかったですけど、もっと世の中の人が関心を持ってほしい。

障がいがあっても生きるということ。

生きている以上、その命を理不尽な理由で奪われることなんかあってはいけないこと。

そして、意思疎通ができないからといって、何も感じていないかどうかなんてご本人にしかわからないということも覚えておいてほしい。

 

この凄惨な事件の被害者並びに遺族の方が救われる日は来ないかもしれないけど、せめてものご冥福と、心休まる日々がいつか訪れることを切に願います。

 

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